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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4633号 判決

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人らは連帯して、控訴人甲野太郎に対し金二二四六万七六六〇円及 びこれに対する平成二年八月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を、 控訴人甲野花子に対し金一八八六万〇九〇四円及びこれに対する右同日から完 済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  控訴人らが当審において追加した請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じて五分し、その二を控訴人らの負担とし、そ の余を被控訴人らの負担とする。

四  この判決は、控訴人らの勝訴部分につき仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  申立て

控訴人ら代理人は「原判決を取り消す。被控訴人らは連帯して、控訴人甲野太郎に対し金四一五〇万〇〇七六円及びこれに対する平成二年八月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を、控訴人甲野花子に対し金三六〇一万八八七五円及びこれに対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は「本件控訴をいずれも棄却する。控訴人らが当審で追加した請求を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。(控訴人らは、当審において、選択的請求として債務不履行に基づく損害賠償請求を追加した。)

第二  事案の概要

次のように付加、訂正するほかは、原判決事実及び理由の第二記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決二枚目表九行目の「被告森谷及び同人が取締役をする」を「被控訴人森谷尚明(以下「被控訴人森谷」という。)及び右ツアーの主催者であり、被控訴人森谷が代表取締役ないし取締役となっている」と改め、同一〇行目の「不法行為」の次に「ないし被控訴人らの安全配慮義務違反」を加え、同末行の「民法七〇九条、七一五条等により、」を削る。

二  原判決三枚目表一行目の「被告森谷尚明(以下「被告森谷」という。)」を「被控訴人森谷」と改め、同末行の「神津島村スキューバ・ダイビングツアー」の次に「(以下「本件ツアー」という。)」を、同裏二行目の「山室隆之」の次に「(以下「山室」という。)」を、同行の「本瀬加央利」の次に「(以下、右五名を「他の参加者」といい、これに春子を加えた六名を「参加者ら」という。)」を加え、同四行目の「このツアー」を「本件ツアー」と改め、同一〇行目の「水中メガネ」の次に「(以下、これらを「三点セット」という。)」を加える。

三  原判決四枚目表二行目の「駐車場」から同四行目までを「駐車地点に先に行くように指示して先に出発させた。春子は用を足すため被控訴人森谷のいた位置から離れた外洋に面した崖の方に行ったが、その間被控訴人森谷は外洋に背を向けていた。」と、同五行目の「転落した」を「落ちた(以下「本件事故」という。)」と、同八行目の「転落した」を「落ちた」と、同一〇行目の「駐車場」を「駐車地点」と、同裏三行目の「飛び込んだ」から同四行目までを「飛び込み、春子の浮いている位置に泳ぎ着いて救助活動をした。」と改め、同九行目の末尾に「(以下、本件事故と右死亡とを併せて「本件死亡事故」ということがある。)」を加える。

四  原判決四枚目裏末行の末尾に「また、控訴人らは、当審において、右不法行為の主張と選択的に、本件ツアーにつき春子と被控訴人らとの間には旅行契約が成立しており、被控訴人らは本件ツアーの引率者ないし主催者として本件ツアーに関して春子を安全に旅行できるように配慮すべき義務を負っていたのに、次の1ないし7記載のとおりの安全配慮義務違反をしたため本件死亡事故を惹起したものである旨の主張を追加した。」を加える。

五  原判決六枚目表一行目の「こと」の次に「又は春子が踊り場に行くことを制止しなかったこと」を加え、同五行目の「右の指示をしたので」を「仮に、被控訴人森谷においてそのような指示をしていないとしても、春子が用を足すため踊り場に行こうとした際、踊り場が極めて危険な場所であることを知っていた被控訴人森谷としてはこれを制止すべき義務があったのに、被控訴人森谷はこれを制止しなかった。被控訴人森谷が右の指示をしたため、又は右の制止をしなかったため」と、同七行目から八行目にかけての「救命用具を持参するべきであったのに、これを持参しなかった」を「救命用具を持参し、救助のための態勢を整えておくべきであったのに、これをしなかった」と、同裏一行目から二行目にかけての「救命用具を持参するべきであった。被告森谷が救命用具を持参していれば」を「救命用具を持参し、救助のための態勢を整えておくべきであった。被控訴人森谷が救命用具を持参し、救助のための態勢を整えていれば」と改める。

六  原判決七枚目表七行目の「転落する」を「落ちる」と改め、同一〇行目の次に改行して次のとおり加える。

「三 被控訴人らは、右二の控訴人らの主張に対し、要旨次のとおり反論した。

1 (二の4に対し)

(一) 本件事故は、スキューバ・ダイビング実施中のものではないから、本件ツアーの引率者としての被控訴人森谷に要求されるのはダイビングツアーの引率者としての特別の注意義務ではなく、業として旅行を引率する者についてその主催に係る旅行中被引率者の生命、身体の安全の保護のため要求される一般的な内容の注意義務である。

そして、千両池付近の外洋に面した岸は切り立った断崖であり、本件事故当時の海は荒れており、外洋に落ちると危険な状態であったが、千両池への往復路は外洋に近付かないし、外洋に落ちると危険であることを春子が認識していたのは明らかであり、正常な判断能力のある成人である春子が自ら安全な場所を選択して用を足すことは春子の自己責任に属する事柄であるから、被控訴人森谷には春子に対して安全な用便の場所を指示すべき義務は存しない。

(二) 被控訴人森谷は春子に対し踊り場で用を足すよう指示したことはない。被控訴人森谷としては、当時二人のいた位置から見て踊り場よりも左の方にあった人の背丈ほどもある岩の辺りを指示したつもりであった。

(三) しかし、踊り場は客観的に危険な場所ではない。踊り場は奥行き四・九メートルで、四〇平方メートル近い広さがあり、海とは反対側の岩壁のそばで他から見られずに用を足すことができるし、滑り易い所ではなく、春子が用を足しに行く直前に被控訴人森谷が小用を足した際にも、春子が落ちた後に被控訴人森谷及び小泉が踊り場の上の方にいた際にも、波は一度も踊り場まで届かなかった。

2 (二の5に対し)

千両池は外洋が荒れていてもほとんど波はなく、千両池でスキン・ダイビングをすることには危険がなく、かつ千両池への往復路も外洋に近付かないものであるし、被控訴人森谷において被引率者が用を足すために外洋の近辺に行き外洋に落ちる危険があるということを予見することはおよそ不可能であったのであるから、被控訴人森谷には救命用具を持参すべき義務はなかった。

3 (二の7に対し)

被控訴人森谷が海中に飛び込んで春子を救助しようとしなかったことには過失がない。本件事故当時海は荒れており、救命用具はなく、現場付近の海岸は切り立った崖が続き、春子を引き上げることのできるような場所もなかったのであるから、いかなる水泳の達人であっても海中に飛び込んで春子を救助することができるという見込みは立たないような状況であったのであり、被控訴人森谷が二重事故の危険を避けようとしたことは正当な判断であった。

四 控訴人らの主張する損害の概要は次のとおりである。

1 春子の損害(控訴人らが各二分の一の二八〇一万八八七五円ずつ相続)

五六〇三万七七五一円

(一) 治療費 一万六八六〇円

(二) 逸失利益 四六〇二万〇八九一円

(三) 慰謝料 一〇〇〇万円

2 控訴人太郎の損害

一三四八万一二〇一円

(一) 慰謝料 八〇〇万円

(二) 葬儀費用 一七〇万四九四一円

(三) 本件事故直後現場に直行した交通費

一万一二六〇円

(四) 弁護士費用 三七六万五〇〇〇円

3 控訴人花子の損害

慰謝料 八〇〇万円

4 控訴人らの請求元本額

控訴人太郎 四一五〇万〇〇七六円

控訴人花子 三六〇一万八八七五円」

七  原判決七枚目表末行から同裏二行目までを次のとおり改める。

「五 争点

1 本件死亡事故につき、被控訴人森谷に不法行為法上の過失ないし控訴人らに安全配慮義務違反があったかどうか。

2 春子及び控訴人らの損害額。」

第三  争点に対する当裁判所の判断

一  右第二の一の事実、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1 被控訴人森谷は、米国に本部を有する世界有数の規模を誇るダイバー指導団体パディ(PADI(Professional Association of Diving Instructors))の日本支部である株式会社パディ・ジャパン(以下「パディ」という。)に属し、パディのスキューバ・ダイビングのインストラクターの資格を有し、ダイビングの指導及びダイビングツアーを主催することをパディから認可されていた。

被控訴人森谷は、身長一七八センチメートル、体重八〇キログラムで、泳力に優れ、パディにおいて、ダイビング全般に関する各種コースを履修し、厳しい審査に合格し、救急処置、溺者救助に関する専門的訓練を受けており、パディのインストラクターの資格中最高クラスの「マスタースクーバ・ダイバー・トレーナー」の資格を有していた。

被控訴人マーメイドは、昭和六〇年四月二三日に被控訴人森谷によって設立された有限会社であり、スキューバ・ダイビングの講習会、ダイビングツアーの主催、ダイビング器材の販売等を業とし、被控訴人森谷はマーメイドの代表取締役であって、右講習会での指導、ダイビングツアーの引率及び参加者の指導をする業務を担当していた。

被控訴人ワイ・エム・マリンは昭和六三年九月一六日設立され、「MAAG 」(marine and aquatic goods plaza)という名称のスキューバ・ダイビング用器材のレンタル及び販売等を行う店を経営し、被控訴人森谷はその取締役であるが、春子に対する本件ツアーの勧誘はMAAGがし、春子に対する本件ツアーの費用の請求は被控訴人ワイ・エム・マリンが行っている。

本件ツアーは被控訴人ワイ・エム・マリンと被控訴人マーメイドが共催したものであり、被控訴人森谷は本件ツアーの参加者らの引率、指導を担当していた。

2 春子(昭和四二年八月一九日生。本件事故当時二二歳)は、身長が一五六センチメートル、体重五〇キログラム程度の体格で、平成元年三月に短期大学を卒業して同年四月以降乙山株式会社に勤務していた。春子は、中学から短期大学まで格別水泳はしておらず、同年七月九日パディのオープンウォーター・ダイバー・コースという入門コースを終了し、その認定カードを取得していたが、本件事故までの間三回のダイビングツアーに参加したにとどまる初心者ダイバーであって、その泳力は小学生時代にプールで二五メートルをクロールで泳げたという程度であった。

被控訴人森谷は本件事故の一年余前から春子に対しスキューバ・ダイビングの指導をしていたが、春子の泳力については全く知らなかった。

3 春子は、被控訴人森谷の引率の下に本件ツアーに参加して、平成二年八月八日他の参加者五名を加えた総勢七名(以下「一行」という。)で東京港竹芝桟橋を船で出発し、翌九日午前四時三〇分ころ神津島に到着し、同島の中心部にある鈴木英雄(以下「鈴木」という。)経営の民宿「鈴木荘」(以下「鈴木荘」という。)に行き、二時間ほど仮眠した後、同日は二回スキューバ・ダイビングをした。

4 同月一〇日(以下、時刻のみで表示する場合は全部同日中の時刻である。)は、台風一一号通過の余波で午前中から海が荒れており同島では全面的に遊泳禁止となっていたが、午後一時ころ被控訴人森谷の提案で一行は千両池に行ってスキン・ダイビングをすることになった。

千両池は、神津島のほぼ南西端に位置し、市街地から約三・五キロメートルの距離にある別紙検証見取図〔第二図〕(以下「第二図」という。)のような形状の、狭い入口部分で外洋につながる細長い入江であり、神津島の海水浴場としては指定されてはいなかったが、外洋との間は右入口部分を除き半島状に連なった屏風状の岩壁で仕切られており、外洋の波の影響はほとんど受けず、大きな池のようで泳ぎやすい場所であった。

鈴木荘から千両池への経路は別紙検証位置図〔第一図〕(以下「第一図」という。)のとおりであって(第一図には前記半島状に連なった屏風状の岩壁が途中で海に没しているかのように記載されているが、同部分で若干岩壁が低くなっているにとどまり、実際は前記のとおり同部分の岩壁も海面上にある。)、自動車で南に一〇分間余り走行して舗装道路が終わった地点で下車して駐車し(以下、この地点を「駐車地点」という。)、そこから約二〇〇メートル、徒歩一三分ほどで千両池に到着する。最後は相当の急斜面の崖(以下「本件崖」という。)を約三〇メートル下らなければならず、本件崖の上方には木やコンクリートで造られた階段や手すりが設置されているが、下方約四分の一の部分にはそれらはなく、本件崖を下りた所はやや平らで若干広い岩場(以下「本件岩場」という。)になっており、本件岩場から更に北西方の斜面を下った所に千両池がある。

5 一行も駐車地点までは鈴木荘の自動車(以下「本件自動車」という。)を利用し、午後三時ころ千両池に到着した。

その際、参加者らはそれぞれ身の回り品のほか、被控訴人森谷の指示により三点セットを携帯し、また、一行はクーラーボックス一個(以下「本件クーラーボックス」という。)を携行していた。しかし、被控訴人森谷自身は三点セットを携帯しておらず、また、同被控訴人としては、千両池でも、そこへの往復の途中でも危険はなく、浮輪、ロープ、救命胴衣などの救命用具が必要となることはないと考えていたので、本件自動車にも救命用具は積載していなかった。

6 参加者らは、千両池において約四〇分間三点セットを装着してスキン・ダイビングをし、その間、被控訴人森谷自身は岸で参加者らを見守っていたが、途中で小泉の希望により、同人にパディのダイブマスターの資格認定試験の一部である泳力テストを実施し、合格の判定をした。被控訴人森谷は右の認定をする資格を有していた。

7 午後四時ころ、参加者らは千両池から本件岩場に引き上げて休息した。そのころ被控訴人森谷は踊り場の下り口を下り本件岩場から約三メートル低い場所で小用をした。小用を終えて参加者らの所に戻ると、春子が腹痛を訴えていたが、しばらくして春子の腹痛がいったん治まったので全員で引き上げようとしたところ、春子が再び腹痛を訴えた。

そこで、被控訴人森谷は、春子に同所で用を足させておくのがよいと判断し、他の参加者に対して先に駐車地点の方に行っているように指示し、同人らがこれに従い、三点セット及び本件クーラーボックスを携行して先に出発した後、春子に対し我慢できないようならここで用を足しておいた方がいいのではないかと勧めた。春子もその勧めに応じたので、被控訴人森谷は踊り場の方に向かって少し本件岩場を一緒に歩いて行って、用を足す場所として踊り場を指示し、「私は向こうを向いているから。」と言って春子にティッシュペーパーを渡した。

そして、春子は外洋の方に歩いて行き、踊り場の西側にある緩傾斜の下り口から踊り場に下りて行ったが、その直後ころの午後四時四〇分ころ春子は外洋に落ちた。

被控訴人森谷は、春子が踊り場の方に歩き出した直後に外洋の方に背を向けて春子の方は見ないようにし、先に本件崖を登っていた他の参加者の方を向いて、手を振り合うなどしていたため、春子が落ちたのは知らなかった。

8 被控訴人森谷が春子に踊り場の方を指示した地点から踊り場までは一〇メートル足らずの距離であり、その付近には人の背丈程度の高さの岩(以下「本件岩」という。)があるが、当時本件岩よりかなり高い位置にある第二図のD点の岩の付近には三人程度の男性の観光客がおり、本件崖の上部には他の参加者がいたため、本件岩の周辺はいずれかの方向からはすべて見通されるような状況にあり、本件岩の岩陰は完全に人目を避けて用を足せる場所ではなかった。一方、踊り場は、本件岩場の端の外洋に面した崖を二、三メートルほど下りた岩陰にあって、どこからも見通されることはなく、人に見られないように用を足すことのできる場所であり、他に完全に人目を避けて用を足すことのできる場所はその付近にはなかった。

9 踊り場は、奥行きが最大約四・九メートル、長さ約一〇・九メートルの三日月形の扇状地のような形をした岩棚であって、陸の側は高さ二、三メートルの切り立った岩壁であるが、足元の岩盤は全体として外洋に向かって一メートルないし〇・五メートルほど低く傾斜している上、複雑で険しい大小の凹凸や裂け目が一面にあって足場は不安定である。また、踊り場への下り口も緩傾斜ではあるものの、外洋に面しており、狭隘な上、足場は右と同じ状態で良好ではない。踊り場の海面からの高さは潮の干満や波の状態によって一定ではないが、本件事故当時よりも潮位が低く海面も穏やかであった平成三年七月九日の原審検証時には海面から概ね七メートル程度であった。

踊り場は外洋に面してはいるものの、若干入江状になった地形の奥に位置していて、その付近で外洋が急に深くなり潮流も早いため急に高波が来ることのある場所であった。そして、本件事故以前にも釣り人が踊り場から三人外洋に転落して死亡しており、駐車地点から本件岩場に至る道の入口付近には、千両池への案内標識のほかに「注意」と朱書した上、「千両池周辺の外海は急深で、潮流が早く急に高波がくることがあり、近づかないよう注意して下さい。」と記載した看板が設置されており、そこから更に進んだ道の分かれ目にある案内標識には「この先の海岸では危険につき海水浴をしないよう注意の事」と記載されている。また、神津島村役場産業観光課と神津島観光協会が共同で作成している神津島への観光客用のビラには「ところによって崖や落石など危険な箇所もありますので、充分ご注意下さい。」「島の海は、潮流が早く、危険な箇所もあります。指定された場所以外での水泳はしないように、また指定標識の外には、出ないようにして下さい。海水浴場は(前浜、多幸湾、沢尻湾、長浜、返浜)の五ヶ所に指定されています。」「海岸では、高波や滑りやすい場所もあります。万一に備えて、なるべくグループ行動されるよう、お願いいたします。」という記載がある。

加えて、本件事故発生当日、神津島では台風一一号通過後の吹き返しの南西風が強まり、午前中をピークに夕方まで平均毎秒一五ないし二〇メートル、最大瞬間風速三〇メートル前後の強風が吹き、波高四ないし五メートル(最大六ないし八メートル)という大しけが続いており、神津島の船はほとんど岸に上げ、大きな船は伊豆半島の下田港に避難させているという状況であった。そのため、参加者らが千両池で泳いでいた時も、外洋と千両池との間に半島状に連なっている岩壁の中間の低い箇所を越えて外洋から千両池に高波が滝のように流れ込んでおり、本件事故当時、踊り場付近では時に上下の落差が二〇メートル以上もあるうねりが押し寄せていた。また、同日午後四時四〇分ころの神津島の潮位は一・二六メートルと高かった。

10 被控訴人森谷は、神津島には本件ツアーの四年位前から頻繁に来ており、千両池にも何回も行ったことがあって、踊り場の状態が右のようなものであって従前釣り人が転落死する事故が発生したことがあり、そのため右のような注意のための看板が設置されていることを承知しており、また、当時第二図のD点の岩の付近に観光客がいたことも認識していた。一方、春子は本件ツアーの時初めて神津島に来たもので、千両池及び本件岩場にも本件事故の際初めて行ったものであり、被控訴人森谷はそのことを知っていた。

11 被控訴人森谷らと分かれて、先に駐車地点に向かうため本件崖を登っていた他の参加者は、本件崖の上方の階段部分で休憩し、ジュースを飲むなどしていたが、春子が踊り場の方に歩き出してから三ないし五分後に、外洋の方を見た小泉が踊り場の先の海上に人が浮いているのに気付き、大声で被控訴人森谷に対し誰かが海に落ちたことを知らせた。そして、小泉は、自分自身も救助に当たろうと考えて三点セットを携行し、崖を下りて本件岩場に急行し、午後四時四五分ころ、踊り場の崖の上に行っていた被控訴人森谷の脇まで行ったところ、春子が踊り場の下の外洋に落ち、岸から三ないし五メートルの所に浮かんで岸に泳ぎ着こうとしていたが、海面が大きく上下するため岸にたどり着けず、むしろ外洋に流されていくような状況であった。小泉が見下していた時、大きなうねりが来る時は踊り場すれすれまで海面が上昇し、踊り場に高波が掛かっている状況であった。

春子の右の様子を見て、小泉は飛び込んで救助するほかないと考え、三点セットを装着して直ちに飛び込もうとしたが、被控訴人森谷はその付近の岩壁は絶壁状で波も高いため、救助に飛び込んだとしても春子を引き上げる場所がなく、波に巻き込まれたり、岩に衝突して負傷する危険があると考え、救助者の二重遭難の発生を恐れて小泉を制止し、他の応援を求めに行き船を出してもらうように指示した。小泉はその指示に従い、自己の三点セットをその場に置いて駐車地点に向かったが、その際被控訴人森谷はマーメイドに本件事故の電話連絡をすることも依頼した。

被控訴人森谷は、併せて本件崖の上部にいた山室らに対しても大声で助けを呼びに行くように指示した。右指示を受けて、山室は本件クーラーボックスを同所に残したまま、他の参加者のうち女性三名(以下「女性三名」という。)と共に駐車地点に急行した。

12 山室及び女性三名は、駐車地点から本件自動車で鈴木荘のある神津島村の中心部に引き返したが、その途中で午後四時五五分ころ浜川光喜(以下「浜川」という。)経営の木工所(第一図中の「木工所」と記載された場所に所在する。)に立ち寄り、浜川に対して救助を依頼した。浜川は、女性三名に対し村役場と警察に連絡するよう指示した上、自らは救助のため自動車で千両池に向かい、山室も同所から本件自動車で駐車地点に戻り、本件岩場に駆け付けた。

浜川が本件岩場にいた被控訴人森谷の側に来て外洋を見ると、春子は岸から三、四メートルの所に気を失った様子でうつ伏せの状態で浮いており、被控訴人森谷は浜川に対して一〇分か一五分前ころからそのような状態になった旨説明した。当時踊り場付近の外洋には大きな波があり、うねりも大きく、踊り場に下りることは危険な状態であり、浜川は被控訴人森谷に対して「何か投げる物はないのか。浮輪みたいな物はないのか。」と尋ねたが、何もないとの答えであったので、駐車地点に引き返し、自己の自動車から仕事用の三、四メートルの長さの細いロープを取り出して本件岩場に戻ったが、その時点では春子はかなり外洋に流されており、右ロープでは長さが足りなかった。

一方、女性三名は浜川木工所の従業員運転の自動車で午後五時五分前ころ神津島役場に着いて救助を求め、同役場職員の藤井文生(以下「藤井」という。)は他の職員と共に直ちに浮輪やロープを携行して自動車で本件岩場に駆け付けた。藤井は午後五時二〇分ころ本件事故現場に到着したが、その時には春子はかなり岸から離れて流されていた。藤井は近くにいた被控訴人森谷に浮輪を持たせ、「俺は飛び込むがお前も来るか。」と尋ねると、被控訴人森谷は「行きます。」と答えた。その直後の午後五時三五分ころ、まず藤井が、次いで被控訴人森谷、更に浜川が海に飛び込み泳いで春子の救助に向かった。藤井らが春子の所に達した時、春子はうつ伏せになって浮いており、意識はなく、水着のみを着用し、肩紐の部分が下がり上半身がはだけているような状態であった。藤井らは、春子を浮輪に乗せ、何本もつないで長くしたロープを岸からたぐってもらって救助しようとしていたところに、鈴木の船外機付きボートが到着し、午後五時四五分ころ同ボートに全員を引き上げた。鈴木は、被控訴人森谷の指示によって救助を求めに行った小泉から陸上からの救助は困難である旨聞き、当時外洋の波が高かったため漁船が救助に出ることを断わったので、自己所有の船外機付きボートで現場に急行したものである。

13 鈴木のボートに引き上げたころ、春子の体温はまだ温かく、午後六時七分ころ春子は神津島村診療所に運び込まれた。春子には重大な外傷はなかったが、既に脈、意識等がなく、心臓マッサージ等の処置も効果なく、午後八時一二分に死亡が確認され、死因は溺死と判定された。

14 春子は、救助された時点では水着しか着用していなかったが、踊り場に下りて行った時にはワンピースの水着の上にTシャツと短パンを着用し、マリーンブーツを履き、バスタオルと小型のバッグを携帯していた。しかし、本件事故後、踊り場からも、他の場所からも春子の他の着衣や携帯品は発見されなかった。

15 被控訴人森谷は、午後四時四五分ころ春子が外洋に落ちたことを知ってから、約五〇分後に藤井に続いて海に飛び込むまで本件岩場から春子を見守っていたが、同所付近の海岸の状態と当時の波の状況からして、自らが救助に飛び込んでも春子を引き上げる場所がなく、救助の船が来るまで引き上げることができないため、船が来るまで相当長い時間泳いで春子を支えていなければならないが、それまで自らの体力がもたず、共倒れになる恐れがある上、自らが波に巻き込まれたり、岩に衝突して負傷したりする危険もあると考え、自ら海に飛び込むことをしなかったものである。

本件クーラーボックスは、内容物を取り出して空にして海に投げ込めば相当の浮力を持ち、浮輪の代わりに使用することができたものであるが、被控訴人森谷はそのことも思い付かず、春子を見失わないようにしていたのみで、自ら直接救助活動を試みることはしなかった。

16 また、被控訴人森谷は、千両池でのスキン・ダイビングに参加者らを引率するについて、緊急時の連絡方法について格別の準備はしていなかった。

二  原審において、被控訴人森谷は「春子に岩陰で用を足すように勧めた際、用便の場所を格別具体的に指示したことはない。春子に用を足すよう話をした時、被控訴人森谷と春子が立っていた地点から外洋寄りの方向には、身を隠せるような大きさの岩は本件岩しかなかったから、被控訴人森谷としては本件岩を念頭に置いて話をしたものであり、春子も本件岩の岩陰で用を足すであろうと考えていたが、本件岩を具体的に指示してはいないし、また、踊り場で用を足すように言ったことはない。」旨供述し、甲第四一号証(司法警察員作成の被控訴人森谷の供述調査)にも同被控訴人が春子に対し「下の方まで行くと過去に釣り人がさらわれており危険だから、岩陰の水たまりの所でやれば上から見えないし、私も向こうを向いているから。」と述べた旨の記載がある。

しかし、前記のとおり、当時本件岩の周辺は人のいた第二図のD点の岩付近ないし本件崖の上部からすべて見通される状況であって、人目を避けて用を足す場所としては不適当であり、付近には踊り場以外に人に見られないで用を足すことのできる場所はなかったのであり、被控訴人森谷はそのことを十分に認識していたものというべきである。それまでに何度も千両池を訪れて周辺の状況を熟知していた被控訴人森谷自身、その直前に小用をした際、それまで同被控訴人のいた千両池寄りの地点からすればより手近かな所にある本件岩の岩陰を選ばず、わざわざ踊り場の下り口を下りた所まで行って用を足しているのは、男性である被控訴人森谷が小用をするにも、付近には他に人目を避けて用を足すのに適した場所がなかったからであると認められる。そして、被控訴人森谷は、それまで神津島に行ったことがなく、千両池付近の状況に不案内で、踊り場が存在することも全く知らない春子に対し、本件岩場付近の岩陰で用を足すことを勧めたものであるが、そのように岩陰で用を足すとすれば、若い女性が人目を避けて用を足すことのできるような岩陰の場所が付近にあるかどうか、あるとすればどこにあるかということが最も肝心のことというべきである。しかも、付近には踊り場以外に人目を避けることのできる場所はなく、その踊り場は本件岩場の外れまで行かなければそれが存在することも気付かないような場所に位置している上、本件岩場の状況からすると、被控訴人森谷と春子のいた位置から見て視界に入らない外洋側の低い所にそのような場所がありそうだという見当がつくということは到底考えられないことであるから、被控訴人森谷において本件岩場付近の岩陰で用を足すことを勧めながら、その周辺で人目を避けることのできる唯一の場所で、しかも説明を受けないでは気付かないような踊り場の存在とその位置について説明しなかったとは到底考えられないというべきである。前記認定の状況からすれば、春子は被控訴人森谷からティッシュペーパーを受け取った後、直ちに迷わずに踊り場に直行していると認められるが、春子がそのような行動をとることができたのも、踊り場の存在と位置について被控訴人森谷から説明を受けたからにほかならないと考えられる。

したがって、被控訴人森谷の前記供述及び右甲第四一号証中、同被控訴人が春子に対し用を足す場所として踊り場を指示したことを否定する部分は到底採用できないというべきであり、同被控訴人は春子に対し踊り場の存在と位置を説明して踊り場で用を足すことを勧めたものと認められる。

原審における被控訴人森谷の供述及び甲第五〇号証中には右以外にも前記一の認定に反する部分があるが、いずれも採用できない。

三  前記のとおり、春子は踊り場から外洋に落ちて溺死したものであるが、春子が外洋に落ちた原因は必ずしも明らかではない。しかし、前記認定のとおり、踊り場は平素でも急に高波が来るような危険な場所であって近付かないように注意する看板が設けられているような場所であるが、殊に本件事故当時は外洋が台風の影響で荒れていて極めて危険な状態であり、高波が踊り場にまで達していたことからすると、春子は高波にさらわれて海に落ちた可能性が十分にあり、また、踊り場も、踊り場への下り口も足場が悪く、足を滑らす恐れがあり、本件事故当時高波によって足場の岩が濡れていてその危険は更に増大していたと考えられることからすると、春子が足を滑らせて海に落ちた可能性もあるものというべきである。結局、春子が外洋に落ちた原因は高波にさらわれたためか、足を滑らせたためかのいずれかであると認められるが、神津島村所轄の新島警察署が本件死亡事故について関係機関からの照会に備えて作成した広報用記録用紙においても「事故の概要」の中に「高波にさらわれたか、足を滑らしたのか不明である」旨記載されており、証拠上右のいずれであるかは明らかでない。

しかし、高波にさらわれたのか、足を滑らせたのか、そのいずれであるにせよ、被控訴人森谷において春子に対し本件岩場で用を足すことを勧め、用を足す場所として踊り場を指示することがなければ、春子が前記のような危険のある踊り場に行くことはなく、外洋に落ちることもあり得なかったものであり、また、結局、春子が溺死するに至ったのは、外洋に落ちてから救助されるまで約一時間も荒れた海面に放置された結果というべきであるから、被控訴人森谷が春子に対し踊り場で用を足すように勧めたこと及び春子の救助が遅れたことと本件事故による春子の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

四  そこで、まず、被控訴人森谷が春子に対し踊り場で用を足すよう勧めたことに過失があるか否かについて検討する。

右のとおり、本件事故において春子が外洋に落ちた原因が高波にさらわれたためであるにせよ、足を滑らせたためであるにせよ、前記のところからすれば、被控訴人森谷は何度も千両池付近を訪れていて、踊り場及び付近の外洋の状況が平素から危険であることを承知しており、特に本件事故の直前には自ら小用に行き、踊り場付近の状況を見ており、台風の影響で非常に危険な状態となっていたことを認識していたことが明らかであるから、春子をそのような踊り場に用を足しに行かせれば高波にさらわれたり、足を滑らせて外洋に落ちる危険があることを十分に認識し得たものというべきである。

そして、被控訴人森谷は本件ツアーの引率者であり、本件事故当日は千両池でのスキン・ダイビングを企画して参加者らを千両池に引率していたのであり、千両池付近の岩場及び外洋の状況からして海に落ちる危険のある場所があることを十分知っていたものであるから、引率者として千両池付近の状況に不案内な参加者らがそのような危険のある場所に近付かないように注意をすべき義務があったものというべきである。ところが、逆に、被控訴人森谷は、当時の踊り場が極めて危険な状況であることを知っており、春子を踊り場に行かせれば外洋に落ちる危険があることを十分に認識できたはずであるのに、本件岩場で腹痛を起こした春子に対し、踊り場で用を足すように勧め、付近の状況を知らない春子を被控訴人森谷自身が指示して危険な踊り場に行かせたものであって、その結果、本件事故が発生したのであるから、被控訴人森谷が春子に対し踊り場で用を足すよう勧めたことには過失があるというべきである。

五  次に、春子が外洋に落ちた後、約一時間荒れる海に放置され、救助が遅延したため死亡したことについて、被控訴人森谷に過失があるか否かについて判断する。

前記のとおり、春子は午後四時四〇分ころ外洋に落ち、午後五時三五分ころ海に飛び込んだ藤井がうつ伏せになって浮いていた春子の元に泳いでたどり着くまで海上にあったのであるが、その間、被控訴人森谷は、午後四時四五分ころ小泉から知らされて春子が外洋に落ちたことを知ってから、参加者らを助けを求めに行かせたほかは、ずっと本件岩場の上から春子の状況を見守ることをしていたのみであった。同被控訴人は、付近の海岸の状態と当時の波の状況からして、自らが救助に飛び込んでも春子を引き上げる場所がなく、救助の船が来るまで相当長時間泳いで春子を支えているのでは自分の体力が持たない恐れがあり、また、自分も波に巻き込まれたり、岩に衝突して負傷したりする危険があると考え、自ら海に飛び込んで直接救助活動に当たることをせず、春子を見失わないように見守っていたというのである。

しかし、春子は海に落ちてから救助されるまでの間、海中に没することなく、終始海面に浮いていたのであり、救助のボートに引き上げた時も体温がまだ温かい状態であったのである。

被控訴人森谷は参加者らを千両池にスキン・ダイビングのため引率するについて、浮輪、ロープ等の救命用具もその必要がないと考えて携行していなかったものであるが、千両池そのものは静かな海面であるとしても、ダイビングは本質的に危険を内包しているものであるから、引率者である被控訴人森谷としては、いつ何時被引率者の生命、身体に危険が及ぶような緊急事態が突発しても迅速に救助することができるように浮輪、ロープ等適切な救命用具を携行すべきであったというべきである。また、同被控訴人としては、千両池付近の外洋は平素から危険であり、特に当日は台風の影響で危険度が高まっていることを承知していた上、同被控訴人の心積もりとしては外洋に近付かないという予定であったとしても、参加者らを引率して千両池付近に行く以上、何らかの事情で、誰かが外洋に近付くということもあり得るのであり、殊に、同被控訴人自身参加者らのうち女性が用便をするとすれば千両池付近では岩陰しかないと考えていた(原審における被控訴人森谷)のであるから(実際に、本件では、同被控訴人自身が本件岩場で春子に対し用を足す場所として踊り場を指示しているのである。)、その点からも同被控訴人としては適切な救命用具を携行すべきであったといわなければならない。加えて、本件ツアーの引率者である被控訴人森谷としては、緊急時の連絡方法の準備についても配慮しておくべきであったというべきである。

しかも、水に落ちた溺者を救助する際、手近かに浮力のある物があればそれを投げ込んで溺者につかまらせるという方法が必要な救助活動の一つであることはいうまでもないが、本件クーラーボックスは、内容物を取り出して空の状態にして海に投げ込めば相当の浮力を持ち、浮輪の代用として使用することができるものであった。そして、春子が外洋に落ちた当時、本件崖の上部にいた山室らが本件クーラーボックスを携帯していたのであるから、被控訴人森谷が山室らに指示すれば直ちに同被控訴人の元に運ぶことができた状況であったが、同被控訴人は本件クーラーボックスを利用することを思い付かず、結局これを利用しないままであった。

そして、被控訴人森谷はパディのインストラクターの資格中最高クラスのマスタースクーバ・ダイバー・トレーナーの資格を有し、泳力に優れ、溺者救助の専門的訓練を受けており、右資格を利用してダイビングツアーの引率、参加者の指導をすることを業としていた者でありながら、右のように千両池でのスキン・ダイビングに参加者らを引率するについて、当然携行すべき浮輪、ロープ等の適切な救命用具を携行せず、緊急時の連絡方法の準備もしていなかった上、救助に役立つような本件クーラーボックスが手近かにあったのにこれを利用することもせず、救助の応援が到着するまで本件岩場から春子を見守るのみで、何ら直接の救助活動をしないまま手をこまねいていたのである。しかし、救助されるまでの間の春子の状態が前記のようなものであったということに加え、被控訴人森谷自身の三点セットは携行していなかったものの、参加者らの三点セットは手近かにあって利用することが可能であり、また被控訴人森谷自身も最後には結局藤井らと共に海に飛び込み、浮輪、ロープを利用して救助に当たったのであるから、被控訴人森谷が緊急時の連絡方法を準備していて、本件事故発生後直ちに救助の応援を求めるとともに、浮輪、ロープ等の適切な救命用具を携行しており、参加者らの三点セットを自ら装着して海に飛び込み、右救命用具のほかに本件クーラーボックスも利用して春子を支持し、他の参加者の協力も得つつ、救助の応援が到着するまで海上で浮きながら春子を支えているという方法を採ったとすれば、被控訴人森谷自身生命の危険に陥ることなしに、春子をより早期に救助し、春子の死亡の結果を回避することができたものというべきである。

したがって、被控訴人森谷には、千両池に参加者らを引率するについて浮輪、ロープ等の適切な救命用具を携行せず、緊急時の連絡方法について何らの準備もしていなかった点で過失があるといわなければならない。

六  以上のとおりであるから、本件死亡事故は被控訴人森谷の不法行為によって発生したものというべきであり、被控訴人森谷は民法七〇九条により本件死亡事故による損害を賠償すべき責任がある。

また、前記のとおり、本件ツアーは被控訴人マーメイドと被控訴人ワイ・エム・マリンが共催したものと認められ、被控訴人森谷は被控訴人マーメイドの代表取締役であり、かつ、被控訴人ワイ・エム・マリンの被用者としての立場において本件ツアーの参加者らの引率、指導をしていたものであるから、被控訴人マーメイドは有限会社法三二条、商法七八条二項、民法四四条一項により、被控訴人ワイ・エム・マリンは民法七一五条により本件死亡事故による損害を賠償すべき責任がある。

七  春子の過失について検討する。

本件事故において、春子が外洋に落ちた原因が高波にさらわれたためか、足を滑らせたためかは明らかではなく、また、高波にさらわれたのであるとした場合にも、その具体的な状況は不明である。しかし、仮に予測できないような高波が急に押し寄せて来たため不意を突かれてさらわれたものであるとしても、春子は二二歳の社会人であるから、いかに引率者である被控訴人森谷に指示された場所であるにせよ、踊り場に下りて行くに当たっては踊り場自体の状態及び外洋の状況に十分に注意をして自ら安全性の判断をすべきであり、特に踊り場の上まで行けば、当時台風の余波で外洋が荒れており、本件岩場に向かって高波が来る可能性があるような状況であることを認識できたはずであることを考慮すると、春子が外洋に落ちたことについては春子自身の安全性の判断にも不十分な点があったというべきである。そして、春子が本件事故により死亡したのは、更に被控訴人森谷において救命用具の用意や緊急時の連絡方法の準備をしていなかったという過失が加わった結果生じたものであることを考慮すると、結局、本件死亡事故の発生についての春子の過失の割合は四割と見るのが相当というべきである。

八  そこで、春子及び控訴人らの損害並びに被控訴人らの賠償額について検討する。

《証拠略》によれば、次のとおり認められる。

1 春子の逸失利益

春子は昭和四二年八月一九日生まれで、短期大学卒業後、昭和六三年四月乙山株式会社に就職し、本件事故当時二二歳で、月額一六万三一二〇円の給与を得ていたが、本件事故のあった平成二年八月分は同月一〇日までの一二万三八八七円のみの支給を受けた。したがって、春子は同年中に同月分の残額三万九二三三円のほか、同年九月から同年一二月までの四か月分として六五万二四八〇円、合計六九万一七一三円の収入を得ることができたはずである。

右会社の短期大学卒業の女子社員の年収は、平均して、二三歳の場合二四九万九〇八〇円、二四歳の場合二五五万五〇二〇円、二五歳の場合二六五万二八四〇円、二六歳の場合二七六万九八四〇円、二七歳の場合二九三万一七〇〇円、二八歳の場合三〇二万〇七二〇円、二九歳の場合三一一万六九〇〇円、三〇歳の場合三一九万二九六〇円、三一歳の場合三二六万二九〇〇円、三二歳の場合三三八万七〇四〇円、三三歳の場合三四三万円、三四歳の場合三四七万三三二〇円、三五歳の場合三六三万二四八〇円、三六歳の場合三八一万七七四〇円、三七歳の場合三九三万三七八〇円、三八歳の場合三九〇万九二〇〇円、三九歳の場合四〇一万五六六〇円、四〇歳の場合四〇三万七七六〇円、四一歳の場合三九五万二八二〇円、四二歳の場合四二九万〇五二〇円、四三歳の場合四六一万二六四〇円、四四歳の場合五一二万六一〇〇円となり、以後六〇歳まで平均して四四歳の場合と同額の給与があると見込まれるから、春子は平成三年以降二三歳から四三歳までの間に合計七二四九万四九二〇円、四四歳から六〇歳までの間に合計八七一四万三七〇〇円の収入を得ることができたはずであり、また、平成二年度の賃金センサスの全国性別、年齢階級別、年次別一般女子労働者の産業計、企業規模計、学歴計の平均給与額によれば、六一歳から六四歳までの年収の平均は二八六万三四〇〇円、六五歳以上のそれは二六六万〇一〇〇円であるから、春子は六一歳から六七歳までの間に合計一九四三万三九〇〇円の収入を得ることができたはずである。したがって、右二三歳の年の一月から六七歳の年の末までの間に春子が得ることのできた収入合計額は一億七九〇七万二五二〇円となり、右四五年間の年平均の収入は三九七万九三八九円(円未満切捨て。以下同じ)となる。そして、春子の生活費として四割を控除し、四五年間の年五パーセントの割合によるライプニッツ係数一七・七七四によって中間利息を控除して、右期間の春子の逸失利益の本件事故時点における現価を算出すると、四二四三万七七九六円となる。

したがって、平成二年中の得べかりし収入から生活費四割を控除した残額四一万五〇二七円を右に加えた逸失利益の合計は四二八五万二八二三円となり、春子の過失割合の四割を控除した額は二五七一万一六九三円となる。

2 春子の治療費

本件事故後の治療費として、春子は一万六八六〇円の出費をしたが、春子の過失割合の四割を控除した額は一万〇一一六円となる。

3 春子の慰謝料

本件事故の内容、被控訴人森谷の過失内容、春子自身の過失などを考慮すると、本件死亡事故についての春子の慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。

4 控訴人らの慰謝料

本件死亡事故によって控訴人らは甚大な精神的打撃を受けたものであるが、本件事故の内容、被控訴人森谷の過失内容、春子自身の過失などを考慮すると、控訴人らの慰謝料としてはそれぞれ一〇〇万円が相当である。

5 春子の葬儀費用

春子の葬儀費用として控訴人太郎は一〇〇万円以上を支出したが、そのうち一〇〇万円が本件死亡事故と相当因果関係のある損害というべきであるから、春子の過失割合の四割を控除した額は六〇万円となる。

6 本件事故直後の交通費

本件事故直後連絡を受けた控訴人らが神津島に赴いた際控訴人太郎において交通費として一万一二六〇円を支出したが、春子の過失割合の四割を控除した額は六七五六円となる。

7 弁護士費用を除く損害賠償請求権元本額

右1ないし6の合計額は三八三二万八五六五円となるが、右1ないし3の合計三五七二万一八〇九円については控訴人らが各二分の一の一七八六万〇九〇四円ずつ相続したものであるから、結局、控訴人太郎は一九四六万七六六〇円、控訴人花子は一八八六万〇九〇四円の損害賠償請求権を有することになる。

8 弁護士費用

本件事案の内容、右認容賠償額等に照らして、本件死亡事故と相当因果関係のある弁護士費用の額は三〇〇万円が相当であり、控訴人ら及び控訴人ら訴訟代理人間においては右費用は全部控訴人太郎が出捐し、同控訴人の損害として請求し、控訴人花子の損害としては請求しないことが合意されているものと認められる。

9 むすび

以上のとおり、本件死亡事故について、被控訴人らは、連帯して、控訴人太郎に対し損害金二二四六万七六六〇円、控訴人花子に対し損害金一八八六万〇九〇四円及びそれぞれ右金員に対する本件死亡事故の日である平成二年八月一〇日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

九  右のとおり、控訴人らの被控訴人らに対する不法行為による損害賠償請求は右の損害賠償額を超える部分については理由がないが、控訴人らは、被控訴人らに対し、選択的に安全配慮義務の不履行による損害賠償を求めている。しかし、控訴人らの主張によれば、本件ツアーを主催したのは被控訴人マーメイド及び被控訴人ワイ・エム・マリンであり、被控訴人森谷は本件ツアーの引率者であるというのであるから、被控訴人森谷と春子との間に本件ツアーに関する旅行契約は存在せず、被控訴人森谷は被控訴人マーメイド及び被控訴人ワイ・エム・マリンが春子との間の旅行契約に基づいて春子に対して負担する安全配慮義務の履行補助者の立場にとどまるものというべきである。また、被控訴人マーメイド及び被控訴人ワイ・エム・マリンについては安全配慮義務違反があることは認められるものの、前記不法行為責任に基づく損害賠償義務以上の損害賠償義務が肯定されるものでないことが明らかである。したがって、被控訴人らに対する債務不履行による損害賠償の選択的請求は認容できない。

一〇  以上の次第で、控訴人らの本訴請求は右の限度で理由があり、その余は理由がなく、控訴人らの不法行為に基づく請求を全部棄却した原判決は一部失当であって、本件控訴は一部理由があるから、原判決を主文のとおり変更し、控訴人らが当審で追加した債務不履行に基づく請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菊地信男 裁判官 村田長生 裁判官 伊藤 剛)

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